「疲れた男の話」

FPの勉強も頭が悪すぎてパンクしそうなんで、少しオカルトに逃げますが、昔から人は天変地異などの厄災に対しても原因があるとし、人外の存在を造ることで、なんとか気持ちのやり場を作ってきました。

時には祈りを捧げ、時には生贄を捧げ・・・。

神や化け物を造り上げ、説明のつかない出来事に対しての心の終着点を作ったのです。

どんな悲劇が起ころうとも、どんなに失おうとも、必ず明日はやってくるから。

 

 

さて講釈を垂れる気もないのですが、科学がある程度進んだこのご時世でも、説明のつかないことが起これば真っ先に幽霊を頭に浮かべます・・・よね?

さすがに大災害を神の怒りなんて思う明後日ちゃん(ななめ上ちゃんでもいいよ)はいないと思いますが、小さな不幸に対しては罰が当たったなんて思うものです。

「祟り」なんてワードを出して、幽霊の仕業にしてしまえば納得がいくのです。

確立で考えれば何百万分の一、あるいはもっと起こりえない確率の偶然が起きてしまうと、そんな奇跡よりも幽霊をその穴に嵌めてしまえば納得がいくのです。

 

 

仮に、

人は壁をすり抜けることができるでしょうか。

普通に考えて無理な話ではあるんですが、量子論で考えると確率が0ではないようです。

量子論では人間も壁も素粒子で構成されていて、素粒子が持っている「トンネル効果」では、人が壁をすり抜けることも確率的には0ではないそうです。

 

さて眩暈がするような確率で奇跡が起こって、壁からニュッと人が頭を出し、それを目の当たりにした人は、自分の許容をオーバーするこの出来事に対し、懐から普段は使わない錆びたオカル刀を持ち出すでしょう。

自分だってそうです。

目の前の壁からニュッとOLさんが出てきたら、社会の窓からオカル刀をニュッと出すでしょう。(使ってなくて錆びまくり)

 

やはり幽霊は都合のいい存在なのです。

幽霊を否定する人でも、壁から出てきた人に対しては量子論ではなくオカルト論で自分の気持ちを納得させることでしょう。

 

 

 

 

最近このしょうもないブログの更新が滞っているのは、誰も見ていないってのもあるんですが、FPの検定試験が5月にあるので、それの勉強をしているのです。

ただ、どうしても頭が悪くて悪戦苦闘していて、自分の頭の悪さを自分のせいにしてしまうと、もうお先真っ暗チンコ真っ黒になってしまうので、誰のせいにしようかなぁと考えてみたところ、さすがに幽霊のせいにはできないので、遺伝を持ち出してうちの親父のせいにしてみたのですが、オカルト論で考えても量子論で考えても、いや一般論で考えても、細川たかしの頭は変だってことを生贄に、どうか菅原道真様、怒りを鎮め、僕を合格させてください(祈り)。

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