「首都圏連続女性殺人事件」

1968年7月13日、空き地で26歳のOLが暴行を受け、焼き殺される事件が起こる。

これが首都圏連続女性殺人事件の始まりだった。

73年1月に東京都北区のアパート、2月には杉並区のアパートが放火され、3人の遺体が見つかる。74年6月には千葉県松戸市の30歳の主婦が失踪し、1カ月後に造成地で絞殺体となって発見。同年7月にも松戸市のアパートで21歳の女性が性的暴行を受けて焼殺された。8月には松戸市の造成地で19歳だった信用金庫勤務の女性が遺体で発見。それ以外にも東京都の葛飾区、足立区、埼玉県の草加市志木市でも同様の事件が起こる。11件の事件で12名が死亡。被害者の多くが若い女性で、強姦された後に放火されて殺されている。加害者の血液型がO型であることから、同一犯の仕業とみられた。

容疑者 小野悦男

このうち葛飾区の事件のみ、76年に犯人が捕まっている。その他の事件で容疑者にあがったのが「小野悦男」である。警察は小野を逮捕する。窃盗の容疑での逮捕だったので、別件逮捕だった。この小野という男は過去に14件の前科があり、そのなかには暴行と放火の容疑もあった。取り調べを進めるうち、小野は松戸のOLの殺害を自白。殺人容疑で逮捕された。

人権派の乱入

マスコミは一斉に小野が連続殺人の犯人であるかのように報道を始める。しかし、一部の事件の加害者の血液型がO型ではないこともわかっており、すべてを小野の犯行とすることには無理があった。そして小野が一転して無罪を主張し始めると、これにこたえるようにジャーナリストや弁護士、宗教関係者らが「小野悦男さん救援会」を立ち上げたのである。この会は警察に対し、自白を強要させたと激しい抗議活動をした。マスコミに対しては小野の人権を無視したと徹底糾弾した。そして彼らは小野名義で「でっちあげ」というタイトルで書籍を出版し、この件における人権問題を訴えた。この書籍には小野の手記から、自分の不遇の環境、理不尽な警察の取り調べ、自分が再犯を繰り返す理由(少年院や刑務所のシステムに問題があり、自分が犯した罪に対しては反省なし)などが掲載された。

釈放

裁判は長引き、ようやく86年に松戸のOLの殺人事件の判決が下される。判決は無期懲役。ところが91年、東京高裁で自白の信憑性が乏しいと、逆転無罪となる。無罪になったことで約3650万円の刑事補償金が支払われた。記者会見では「体の不自由な母親の世話をしてやりたい」と語り、涙する者もいた。マスコミも新聞・雑誌などで謝罪記事を掲載。小野は一躍、冤罪のヒーローとなる。しかし、殺人事件は無罪となったが、窃盗と婦女暴行については有罪であった。

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新たな事件

96年、東京都足立区の駐車場で、布団に巻かれ黒焦げになった首のない女性の遺体が発見される。そして同年4月、都内で5歳の女児が男に首を絞められ、失神する事件が起こる。いたずらもされていた。この2件の事件で容疑者にあがったのは小野だった。駐車場で見つかった首なしの遺体を巻いていた布団に付着していた体液と、小野の唾液のDNAが一致したのである。しかも小野の住居の裏庭から腐敗した女性の頭部が見つかり、室内の冷蔵庫からは切り取られた局部も見つかった。遺体は小野と同居していた女性だった。

小野はこの件で無期懲役を言い渡される。遂には支援していた人々も離れた。しかしそれでも小野は、かつての松戸のOLの殺人事件は警察のでっち上げだと主張した。仮にでっち上げだったとしよう。今回の駐車場の首なし遺体と松戸のOLでは犯行の手口が一緒なのである。今回、小野は以前に警察がでっち上げた事件と同じ手口で事件を起こしたことになる。それもたまたま。多くの者は、以前の事件も小野がやったと思ったに違いない。だから離れたのである。あれだけ支援していたジャーナリストや弁護士、宗教関係者は何を思ったのだろうか。(都合の悪いことは、なかったことになっちゃうんだろうね)

時効が過ぎた首都圏女性連続殺人事件の真相が明らかになることはない。