「陰陽師 安倍晴明」
陰陽師といえば映画や小説などの影響で怨霊を退治する正義のヒーローのような見られ方をしているが、もともとは陰陽寮に属した官人であり、今でいうところの役人である。仕事は国家の為に行う占術、呪術、祭祀。
奈良時代に生まれた陰陽師は、時代の流れと共に性格を変えていく。
平安時代に入ると怨霊に対する恐れが朝廷や社会に広まり、これらの撃退を活躍の場に変える。恨みを持って死んだ人間の怨霊が天災や疫病の原因と考えられ、貴族たちはしきりに恐れた。この厄災から天皇や貴族を守ることが陰陽師の使命になったのである。
安部晴明
晴明は摂津国阿倍野に生まれる。幼少期から陰陽道や天文道を学び、朝廷内で瞬く間に出世した。式神を意のままに操り、天地の法則から吉凶を占い、未来をも見通した。晴明の類まれなる才能は、幼少期から周りを驚かせていた。
賀茂忠行に陰陽道を教わっていたころの話である。ある夜、忠行の乗る牛車の後ろを歩いていた晴明は、前方に鬼達を発見する。晴明に起された忠行は術を使って難を逃れることに成功。子供にも関わらず鬼が見える晴明に、忠行は自分の術を惜しまず伝授することを決めたのである。
蘆屋道満との術比べ
晴明の凄さを紹介するエピソードは数多くあるが、有名なのがライバルの蘆屋道満との術比べである。
あるとき、2人は内裏で術比べを行った。長持の中身を当てることとなり、道満は中身を「みかん15個」、晴明は中身を「ねずみ15匹」と答えた。あらかじめ長持にみかんを入れておいた貴族達は、道満の勝ちと思い長持を開けたが、中から出てきたのは15匹のねずみであった。晴明が術でみかんをねずみに変えたのであった。
呪詛返し
晴明が内裏にいると、ちょうど入ってきた蔵人の少将の肩に鳥が糞を落とした。晴明はその鳥が式神であると見破り、少将にこう提案する。
「今の鳥は式神です。あなたは何者かに呪いをかけられている。今夜一晩もたない。私に任せてくれないか」
その晩、晴明は少将を抱きかかえて護身の呪文を唱え続けた。
翌朝になって戸を叩く音がした。少将を殺すために放った式神に陰陽師が殺されたとのことだった。陰陽師に依頼したのは少将の相婿。舅が少将ばかり可愛がることを妬んでの企みだった。舅は相婿を家から追い出し、晴明にたいそう感謝した。
その後、少将は大納言まで出世したとのことである