「帝銀事件」

1948年1月26日、帝国銀行椎名町支店に一人の男が現れる。「東京都防疫班」という腕章をつけた男は厚生省技官の名刺を出し

「近くの民家で赤痢が発生した。その井戸を使っている人がこちらの銀行を利用している。GHQより予防薬を飲んでもらうよう指示があった」と語り

「薬には第一薬と第二薬がある。第一薬は強い薬なので歯を痛めることがある。舌を出して飲み、続けて第二薬を飲むように」と銀行内の16人の前で飲み方の手本を示した。

16人は言われるままに湯呑に注がれた第一薬を飲み干した。すると間もなく喉を抑える者が出始めた。第二薬を飲んでも喉の苦しみは癒えず、男に許可を取り、流しへ向かう途中に1人、また1人と倒れていった。1人の女性行員が外へ這い出たことで事件が明るみになる。

駆けつけた警察官は銀行内の様子を見て、集団中毒が原因なのではないかと思ったが、現金16万円と小切手が消えていることから、警察は前例のない大量毒殺強盗事件と断定する。捜査が開始された。

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GHQからの圧力

犯行に使われた毒物は青酸化合物であることがわかった。この時代に劇薬の扱いに慣れている人物などは限られている。真っ先に疑われたのが旧陸軍の防疫給水部本部、通称「731部隊」である。

第二次世界大戦中に満州に拠点を持ち、衛生的な給水体制の研究や生物兵器に使う細菌兵器の開発を行っていた機関だ。戦時下で行われた人体実験や生物兵器のデータはGHQに渡され、その見返りに731部隊の軍医たちは戦犯にはならず、大学医学部や国立研究所や各地の病院に職を得ていた。

警察が捜査を始めると、GHQから捜査中止命令で出たのである。警察もこれには従わなくてはならず、捜査対象は一般人へと向けられることとなる。おそらくGHQの捜査中止命令は、731部隊が持っていた情報の流出を防ぐためである。当時731部隊は中国人など3000人以上に対して人体実験を行っており、その手口が「近くで伝染病が発生した。予防の為に2種類の薬を飲め」というものだった。今回の帝銀事件と薬の飲ませ方が一緒である。

容疑者 平沢貞通

警察は当初、使われた青酸化合物を捜査していた。だがGHQの妨害の為に路線を変更。事件で使われた名刺を追うこととなる。

この帝銀事件のあと、類似の事件が2件起こる。2件とも未遂で終わったが、その1件で使われたのが「医学博士 松井蔚」の名刺である。実際に松井という人物は存在したが 、松井はアリバイあり。この松井は几帳面な男で、名刺交換をした相手を記録していたのである。その相手を警察は調べ、帝銀事件の時間にアリバイのない男、平沢貞通が浮かび上がる

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捜査員の中に居木沢という警部補がいた。この居木沢は平沢に固執し、強引な捜査が始まる。決定的な証拠もないままに逮捕し、鬼刑事として知られる平塚八兵衛と共に拷問に近い取り調べが行われた。

しかし平沢には名刺の他にも怪しい点がある。事件直後に大金を所持していたのだ。この大金の入手ルートを追及しても、平沢はなぜか明確にしなかった。

8月25日、平沢は自殺を図る。ガラスペンを喉に刺し、鮮血で壁に「無罪」と書いた。これにより、警察内部でも平沢はシロなんじゃないか?との意見が強まる。

9月。平沢が過去に銀行に対して4件の詐欺事件を起こしていた疑いが浮上し、本人も自白する。その後、2度続けて自殺未遂を起こした後、犯行を認め、10月12日に強盗殺人と強盗殺人未遂の容疑で起訴された。起訴の裏付けは自白のみだった。

12月に開かれた公判で一転して無罪を主張した平沢だったが、翌年の東京地裁で死刑判決、55年の最高裁で死刑が確定した。

しかし、法務大臣が何度変わっても、平沢の刑が執行されることはなかった。87年5月に獄中で死亡。95歳だった。

 

まとめ

 

 大金の入手ルートを明確にしていれば何か変わったんじゃないかと思われます。怪しいところも確かにありますが、当時は拷問のような取り調べで、やっていなくてもやったと言わされる状況でしょう。自白のみで証拠もないというのは冤罪なんじゃないかと思ってしまいます。

GHQの操作中止命令も怪しい。

青酸化合物なんて一般人が手に入らないものが使われているのに対して、そこを考えないで画家を捕まえるっていうのも強引。

もっと大きな事件の糸口だったんじゃないかと。それを平沢逮捕で闇に葬ったんではないかと。

 

この帝銀事件で使われた毒がテーマの「邪魅の雫」も面白いっすよね。ぜひ。


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