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「日本で起きた羆による獣害事件ランキング トップ3」

 

第3位  秋田八幡平クマ牧場事件

 

2012年4月20日、午前8時頃、冬季閉鎖中のクマ牧場の運動場から羆6頭が脱走した。運動場は地下に掘られる形で高さ4.5メートルのコンクリートで囲まれていたが、除雪した雪を壁際の一角に投棄していたため雪山ができており、そこを登って外へ出たものとみられる。男性従業員が悲鳴を聞きつけ駆けよると、餌場で作業する女性従業員が襲われていた。別の女性従業員も倒れており、呼びかけに応答はなかった。男性従業員は秋田県警に通報。近所の猟師は女性従業員を引っ張り合う羆を見たという。

正午過ぎ、県警が地元の猟友会に射殺命令を下し、午後4時、脱走した羆6頭は全て射殺された。女性従業員2名が亡くなる凄惨な事件となった。羆は解体解剖され、胃内からは肉片、毛髪、皮膚、タイツなどが発見された。

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第2位 福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ襲撃事件

 

福岡大学の学生5人が羆に襲われた事件。

5人は1970年7月14日、日高山脈縦走のため、北部の芽室岳から入山。25日午後3時20分頃、九の沢カールにテントを設営。

午後4時半頃、全員がテント内にいるときに羆が現れる。6~7メートルの距離に現れた羆を最初5人は興味本位で眺めていたが、外にあったザックをあさり、食料を食べ始めたので、すきを見てザックを回収。火をたき、ラジオを鳴らし、食器を叩くと羆は姿を消した。

午後9時頃、羆の鼻息がして、テントに穴をあけられる。

26日午前4時頃、撤収準備中に再びクマが現れる。テントに入ろうとするので、5人は支柱やテント地を握り、5分間ほど羆とテントを引っ張り合う形になった。最後には羆とは反対の幕を上げ、逃げることに成功。50メートルほど離れて羆の様子を見ると、テントを倒し、ザックの中身をあさっていた。

ハンターの出動を頼むため、サブリーダーのBと最年少のEが下山。2人は北海道大学のパーティーに出会い、救援要請を依頼。食料や燃料を譲り受け、3人の元へ戻る。途中、鳥取大のパーティーとも出会う。

26日午後1時頃、2人が3人と合流。午後4時半頃、羆が現れる。鳥取大のテントに避難させてもらおうと、カールを下り始める。午後6時半頃、すぐ後ろに羆がいることに気づき、全員が駆け下りる。Eが羆に捕まり、藪の中に引きずりこまれる。リーダーのAが全員集合をかけたが、Cがはぐれてしまい、3人で安全そうな岩場に身を寄せた。その後、Cは1人でテントにいたところを襲われている。

27日午前8時、行動開始。岩場から下ると目の前に羆が現れた。リーダーのA君は羆を押しのけるように進み、そのまま羆に追われていった。残った2人は砂防ダム工事現場に着き、午後6時、中札駐在所で保護された。

今回の羆の襲撃で、A、C、Eの3人が亡くなった。

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第1位 三毛別羆事件

 

1915年12月9日~12月14日にかけて、エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7人が死亡、3人が重傷を負うという、クマの獣害事件としては記録的な被害を出した。

12月9日、太田家に羆が現れる。家にいた妻のマユと6歳の子供が襲われる。夫が帰ると、土間で死んでいる息子を発見。マユの姿はなく、羆が出ていったとされる窓枠にはマユの頭髪が絡みついていた。

10日、村中が騒ぎとなった。羆を討伐し、マユの遺体を収容すべく、30人の捜索隊を編成された。捜索隊は森で羆を見つたのだが、銃の手入れが行き届いていなかったために発砲できず、羆は逃亡。周囲を捜索すると、マユの遺体の一部が見つかった。

夜になり、マユの通夜が行われた。羆の襲来に怯え、9人だけの通夜となった。午後8時頃、大きな音とともに居間の壁が突如崩れ、羆が室内に入ってきた。9人は梁や便所に隠れ、その騒ぎのなかでも、石油缶を打ち鳴らす者や銃を撃とうとする者もいた。近所の男性50人が駆けつけた頃には羆は姿を消していた。

その頃、明景家では主人が不在ということで、家族は不安な夜を迎えていた。太田家から姿を消した羆は明景家に向かっていたのである。地響きとともに窓を破って羆が侵入。混乱の中で灯りも消え、家の中は暗闇となった。標的となったヤヨは頭をかじられ、幼子の梅吉は噛みつかれたが、兄の勇次郎を連れて運よく3人は逃げ切った。標的を変えた羆は室内に再度侵入。妊娠中のタケが襲われる。「腹破らんでくれ!」と胎児の命乞いをしたが、上半身から食われ始めた。

ヤヨから知らせを受け、男性10人が明景家を取り囲んだ。空砲を撃つと家から羆が出てきた。先頭の男性が撃ちあぐねている間に羆は姿を消してしまった。明景家に入った者の目に飛び込んできたの血の海だった。タケ、春義、金蔵の遺体は無残の食い裂かれ、タケの腹からは胎児が引きずり出されていた。

11日。区長が羆退治の応援を警察や行政に頼ることを決議。

12日。北海道庁警察部から羽幌分署長に討伐隊の組織が指示された。近隣の青年会や消防団、志願の若者やアイヌたちにも協力を仰ぎ、多くの者が三毛別に集まった。

13日。旭川の陸軍第7師団から歩兵第28連隊が投入される。羆は村人不在の家々を荒らし回っていた。人間という獲物が見つからず、昼間でも人家に踏み込むなど、大胆で警戒心が薄れていた。

14日。山本平吉という熊撃ちが山に入った。若いころには鯖裂き包丁一本で羆を倒し「サバサキの兄(あにい)」の異名を持つ人物で、評判の高いマタギだった。平吉は頂上付近で羆を発見。音を立てずに20メートルほどにじり寄った。羆は平吉に気づいていない。銃を構え、銃声が鳴り響く。弾は羆の心臓近くを撃ちぬいた。しかし羆は怯むことなく平吉を睨みつけた。平吉は即座に次の弾を込め、素早く放たれた二発目は頭部を正確に撃ち抜いた。

ヒグマは金毛を交えた黒褐色の雄で、重さ340kg、身の丈2.7mにも及び、胸間から背中にかけて「袈裟懸け」といわれる弓状の白斑を交えた大物であった。推定7 - 8歳と見られ、頭部の金毛は針のように固く、体に比べ頭部が異常に大きかった。

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三毛別羆事件は数々の小説や映画になり、現在でもネット上では度々語られる事件となっている。

 


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